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借金地獄からの逆転劇…アル・パチーノが若い頃から這い上がった伝説の俳優キャリア
『ゴッドファーザー』(1972)や『スカーフェイス』(1983)で知られる、ハリウッド界の名優アル・パチーノ。
現在もハリウッド史上最も偉大な俳優の一人として称賛されおり、その活躍は衰えることを知らない。しかし、彼の成功は決して順風満帆ではなく、若い頃は極貧生活とオーディション落選の連続だった。
さらに、キャリアの絶頂期には5,000万ドル(約70億円)の資産を失い、借金地獄に苦しんだ過去もある。
本記事では、そんなアル・パチーノの若い頃の苦闘と、彼が直面した深刻な経済的危機について深堀したい。
極貧時代:オーディションのバス代も借りる日々
1940年、ニューヨーク・マンハッタンで生まれたアル・パチーノは、イタリア系移民の家庭に育った。両親の離婚後、彼は母と祖父母に囲まれて暮らすことになるが、その生活は決して安定したものではなかった。
19歳でグリニッジ・ヴィレッジに移り住んだパチーノは、俳優になるという曖昧で、しかし強烈な夢に人生を賭け始める。だが1960年代の現実は、理想とは程遠い。彼の日常は、成功への助走というより、むしろ生き延びるための闘いだった。
ハーバート・バーゴフ・スタジオで演技を学びながら、オフ・ブロードウェイの小さな舞台に立つ日々。その裏で彼は、深刻な貧困と鬱状態に追い込まれていた。オーディションへ向かうためのバス代すら捻出できず、他人に借りなければならなかったという逸話は、当時の切迫感を物語っている。
月収はわずか200ドル。生活の痕跡がほとんど残らない狭いアパートには、タバコの吸い殻と台本だけが散らばっていた。パチーノは鏡の前に立ち、何時間も無言で表情を作り続ける。観客もいない、拍手もない。ただ、役と向き合う孤独な時間だけが積み重なっていった。
後に彼は、この時期をこう振り返っている。「貧しく、飢えていると、人は別の種類の意欲を見つける。飢えは、情熱を研ぎ澄ますのだ」。まさに極限状態が、彼の演技への集中力と執念を育てていた。
この極貧生活は、1966年に名門アクターズ・スタジオへの入学を果たすまで続く。
リー・ストラスバーグのもとでメソッド演技法を学び始めたことで、パチーノはようやく“才能を持つ無名の若者”から、“表現者としての俳優”へと変わり始める。その長い下積みこそが、後に世界を震わせる演技の土壌となった。
ブレイクへの道:舞台での受賞と映画デビュー
パチーノにとって最初の大きな転機となったのは、1968年に主演したイスラエル・ホロヴィッツ作『The Indian Wants the Bronx』だった。
1月17日、ニューヨークのアスター・プレイス劇場で幕を開けたこの舞台は177公演を重ね、無名に近かった彼の名を一気に演劇界へと押し上げる。
パチーノが演じたのは、衝動と暴力性を内に抱えた若者。荒々しさの奥に潜む不安や孤独を剥き出しにする演技は強烈な印象を残し、批評家からも絶賛された。
この作品で彼はオビー賞最優秀主演男優賞を受賞し、舞台俳優としての評価を確固たるものにしていく。
1970年には映画『Me, Natalie』でスクリーンデビューも果たす。ただし、その役はごく小さく、映画の世界がすぐに彼を豊かにしたわけではなかった。
当時の出演料は、ボストンのチャールズ・プレイハウスで週125ドルが最高額。舞台で評価を得ても、生活は相変わらず厳しいままだった。
状況が一変するのは1972年。フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』で、マイケル・コルレオーネ役に抜擢されたことである。静かな眼差しの奥に冷酷さと葛藤を宿した演技は、映画そのものと同じく歴史的な評価を受けた。
作品は映画史に残る傑作となり、パチーノは一夜にして世界的スターの仲間入りを果たす。
アカデミー賞助演男優賞へのノミネートを経て、彼は単なる新星ではなく、「タフで危険な男」を体現する俳優としてのイメージを確立していった。長い下積みの末に訪れたこの瞬間が、パチーノのキャリアを決定づける分岐点となったのである。
『ゴッドファーザー』直後の借金地獄
しかし意外なことに、パチーノは『ゴッドファーザー』の撮影を終えた時点で、ほとんど無一文の状態にあったことが明かされている。
2024年に刊行された自伝『Sonny Boy』で、彼は「『ゴッドファーザー』を撮り終えた時、私は一文無しだった。もともと金は持っていなかったが、その時は借金まで抱えていた」と率直に告白した。
この深刻な経済危機の背景にあったのが、MGMスタジオとの契約トラブルである。
MGMはすでにパチーノをマフィア・コメディ作品にキャスティングしていたが、彼が『ゴッドファーザー』への出演を選んだことで、スタジオ側から訴訟を起こされてしまった。
契約から逃れるために弁護士を雇ったものの、その費用だけで1万5,000ドルもの借金を背負う結果となった。
Embed from Getty Images 「まるで自分がギャンブラーになり、賭け屋に追われているような気分だった」と、パチーノは当時を振り返っている。
さらにこの時期、マネージャーやエージェントがギャラから手数料を差し引いていたため、生活は逼迫し、当時の恋人ジル・クレイバーグの経済的支援に頼らざるを得なかった。
このエピソードは、パチーノのキャリア初期がいかに不安定なものであったかを象徴している。
スターへの扉は確かに開かれたものの、契約や法的問題が重くのしかかり、彼は一時、借金に追い詰められた。
しかし、その苦境を乗り越えた先に待っていた作品が、『セルピコ』(1973)や『狼たちの午後』(1975)といった代表作。
こうしてパチーノは、1970年代を象徴する俳優へと確かな歩みを刻んでいくことになる。
会計士の詐欺による5,000万ドル消失事件
ハリウッドで長年語り継がれてきたアル・パチーノの金銭トラブルが、いわゆる『5,000万ドル消失事件』だ。
2010年、キャリアの絶頂期に約5,000万ドル(約70億円)の資産を築いていたパチーノは、ある時期を境に突然「無一文」とも言える状況に追い込まれた。
自伝『Sonny Boy』の中で、彼は「5,000万ドルを持っていたはずなのに、次の瞬間には何も残っていなかった」と、衝撃的な言葉で当時を振り返っている。
この異常事態の原因は、長年信頼してきた会計士ケネス・アイラ・スターによるポンジ・スキーム詐欺だった。
スターは1990年代半ばから2010年代にかけて、パチーノの会計士兼財務アドバイザーを務めていた人物である。
しかしその裏で、パチーノを含む著名な顧客から総額5,000万ドル以上を横領し、自身の贅沢な生活に充てていた。投資を倍にすると偽って資金を集め、ダミー会社や個人的なベンチャーへと資金を流用していたのである。
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2010年6月、証券取引委員会(SEC)の調査によって不正が発覚。
スターはワイヤー詐欺、証券詐欺、投資顧問詐欺、マネーロンダリングなど計23の罪で起訴された。同年9月10日、マンハッタン連邦地方裁判所で罪を認め、懲役121〜151カ月(約10年〜12年半)の刑を言い渡されている。
スターの手口は極めて巧妙だった。投資相談から財務計画、請求書の支払い、税務申告の補助に至るまで一手に引き受け、顧客から全面的な信頼を勝ち取っていた。
横領した金で、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドに760万ドルの高級アパートを購入するなど、派手な暮らしを続けていたという。
パチーノが異変に気づいたのは2009年末。
元パートナーのベヴァリー・ダンジェロとの親権争いの過程で、財務状況を精査する必要に迫られたことがきっかけだった。
提出された財務開示書類によれば、2001年には約6,000万ドルあった純資産が、2009年には4,800万ドル以下にまで減少していたとされている。
浪費癖が招いた経済破綻
しかし、パチーノの経済危機は会計士の詐欺だけが原因ではなかった。
本人が認めているように、浪費癖と金融リテラシーの欠如も事態を深刻化させており、自伝では「月に40万ドル使っていたのに、それに気づいていなかった。私は愚かだった」と率直に振り返っている。
当時は、2軒の邸宅や複数のアパート、オフィススペースの維持に加え、住んでいない家の造園費だけで年間40万ドルを支払っていたという。
さらには、16台の車と23台の携帯電話を所有するなど、物質的な浪費も重なっていた。
「不動産はあったが現金はなかった。金がどこへ消えているのか分からない狂気のような状態だった」と語り、最終的には「金の仕組みを理解していなかった」と自らの無知を認めている。
この危機を乗り越えるため、報酬を最優先に仕事を選ぶようになったパチーノ。多くの作品の酷評を受けながらも、広告出演や講演、さまざまな仕事を積み重ねることで、パチーノは徐々に財政を立て直していった。
遅咲きの俳優が示した継続の力
アル・パチーノのキャリアは、『遅咲き』の俳優を象徴する例として語られることが多い。
代表作『ゴッドファーザー』で初めて大きな成功を手にした時、彼はすでに32歳だった。
それまでの10年以上、極貧生活と挫折の連続を経験してきたが、それでも演技を手放さなかった背景には、メソッド演技法による厳格な訓練と、演技そのものへの揺るぎない情熱があったに違いない。
リー・ストラスバーグのもとで培った技術は、演技に深みと真実味を与え、その後の名演の土台となっている。
若き日の貧困、借金地獄、そして再起――パチーノの人生は波乱に満ちている。
だが彼が示したのは、才能以上に「続ける力」の重要性だった。
どれほど困難な状況にあっても学びを止めず、挑戦を重ねてきた姿勢こそが、彼を伝説的な俳優へと押し上げたのだろう。
現在、純資産は4,000万ドルから1億2,000万ドルと推定され、演技の印税や近年の高評価作品、そして多角的な収入源によって財政も安定している。
パチーノの歩みは、成功とは一直線ではなく、挫折と再生の積み重ねであることを物語っている。




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