俳優・鈴田修也が映画やドラマ、芸能という世界で生きるなかで感じたことを赤裸々に発信する場として生まれた、連載コラム『Words Breathe Life』。
『Words Breathe Life』とは「言葉は命を吹き込む」という意味。
「生きる全ての人に希望を与えたい」
「言葉という人間の武器を持って、生きる力になりたい」
そんな思いのなか、私の心の奥底から溢れてきた『Words Breathe Life』という言葉。私は、素晴らしい機会となった連載コラムを通じて、あなたにそっと寄り添う言葉を提供したいと思う。
case.1『俳優・鈴田修也』では、私という人間を知ってもらいたい。
経歴
1995年滋賀県生まれ。小さな頃から野球に打ち込む。高校3年生の時には夏の甲子園出場も果たした。大学では教育学部保健体育学科を専攻。大学卒業と同時に小学校、中学校保健体育免許、高校保健体育免許を取得するも、教員にならずに俳優の道へ。大学生の頃、静岡駅前の映画館のレイトショーへひとりで鑑賞することに夢中になっていた私。席はいつも右後の端っこだった。就職活動を始めるために東京へ。その日に偶然、3社の事務所に声をかけられ、ここで初めて「俳優も立派な仕事なんだ」と新たな仕事の可能性を感じ始める。気づいたら、卒業後は就職もせずに上京していた。
主な出演歴
KTV「シグナル」7話
TBS「大恋愛」3話
NTV「家売るオンナの逆襲」2話/
TBS「ドラフト特番」平尾奎太役
KTV「パーフェクトワールド」
CX「ストロベリーナイト・サーガ」深沢康之役
NHK大河ドラマ「いだてん」下村広次役
NTV「ボイス」8話
NTV「ブラック校則」
NTV「親バカ青春白書」
CX「アンサングシンデレラ」1話
TX「らせんの迷宮」1話
TX「明日、私は誰かのカノジョ」
CX「競争の番人」
WOWOW「ドラフトキング」佐久川 光役
NTV「だが、情熱はある」10話
EX「素晴らしき哉.先生」4話
兼重組「泣くな赤鬼」大島拓也役
本広組「ブレイブ-群青戦記-」江夏役
飯塚組「野球部に花束を」大西巧太役
映画「brother」SHOTA役
etc・・・・
俳優に対する思い
当時は私も漠然としていた『俳優』という職業。上京した22歳の私、俳優というものは本当に自分が売れるための手段でしかなかった。芸能の世界で売れればそれでいい。そんな風に思っていた。当時はいろんな事務所と掛け合っていたが「芸能人として生きていくためには、歌とかダンスよりも俳優が一番楽だ」と言われたことも鮮明に記憶に残っている。
そんな私が俳優を始めて8年。今の私の『俳優』の見方はまるで変わった。俳優はただの売れるための手段ではない。私は、俳優が『人の命を救える尊い職業』だと思っている。最近では、ハリウッドでAI女優の台頭が大きな物議を醸しているのだが、私は俳優こそ本当にAIに代えられない生き物だと信じている。
しかし、世間の俳優の認識がそれに伴っていないのも現実だ。おそらく多くの人は、「俳優とは?」「どんな人が俳優なの?」「何を持って演技が上手いと言えるのか?」という問いに対して、漠然とした答えしか思い浮かばないのではないだろうか。
SNSが発達しインフルエンサーやYoutuberという新たな芸術?が登場したこの世の中、それによりますます職のプロフェッショナルという境目が薄れていき「誰が一体何者なのか?」が本当にわからなくなった。まさに何でもあり状態…。そんな歪んでしまった世界で俳優は、演技とは全く関係のないSNS投稿に踊らされ、命の手綱であるバイトに踊らされ、いつの間にか自分の存在を見失ってしまう。
だからこそ、私は『俳優の在り方』を示したい。
この世界に本当の俳優の姿を自分で示したい。
もちろんこの世の中が、偽物の俳優でありふれている訳ではない。しかし「明日から俳優だ」と名乗れば、俳優になれてしまうこの日本の芸能界だからこそ、私は世界一必要とされる本物の俳優でありたい。そんな本物の俳優の魅力を存分に描ける、同時に生きる希望を与えられるコラムにしたい。
映画という芸術に対する思い
映画は立派な芸術作品ではないか。
私は映画が『人生の道標』になると思っている。誰もが一度は必ず、映画に心を揺さぶられたことがあるだろう。そして映画に心を揺さぶられた時、「心の中の邪念が全て洗い流される」ような感覚になったことがあるのではないか。それくらい、映画という芸術は人々の人生に影響を与えるものである。
確かに映画はいろんな形があっていいと思う。しかし、昨今の映画は『分かりやすさ』があまりにも重視されている気がしてならない。そもそも、映画を通して多くの人が何を見ているのかというと『他人の人生』だ。(もちろん、好きな俳優がいるなど、いろいろな目的があっても良い)
『芸術』と『ビジネス』の関係は本当に難しいと思う。絵でも音楽でもそうだが、自分の表現を続ければ挫折を味わう可能性が高くなり、ビジネスを求めれば個性が跡形もなく消え去ってしまう。それは映画も同じであり、現代の映画ビジネスは、どうしても『分かりやすさ』を表現している。
だからこそ私は、もっと人の人生を抉るような、人の心を抉るような、人の心を洗い流すような、そんな映画の素晴らしさを描いていきたいと思う。
もしかしたらこれが、私が俳優として納得できる唯一の発信方法なのかもしれない。
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